【突き出されるように背中を押されてほぼ突然来てしまいました】
3月4日が母の本当の四十九日でした。そんなことを若さまや関白さんと話をしていたら「京都においでよ」、「妙心寺にお参りをしに四十九日のその日こそ京都に行っておいでよ」と。
ぐずぐずしていたら若さまがもう新幹線と京都のホテルを予約したと連絡が。
お寺はまだしも神社はいくらなんでも早計でしょうにと思い、神社の関係の方に相談したら50日を過ぎればお心の持ちようでと教えてくれました。ちょうど50日から神社を回らせてもらいました。
【若さまが予約と支払いまでしてくれたホテル日航プリンセス。いいお宿でした】
「一泊目は妙心寺近くの我が家に泊まって翌日からは地の利のいい場所にあるホテルをとったから」。ホテル日航プリンセスでした。有無を言わせぬ電光石火でボクはまるでお飾りの人形。
足元がおぼつかない自覚大。頭のキレは日々刻々と鈍化。歩くことも土地勘もまるで自信喪失の近ごろ。ましてや旅行といえば関白さんが必ずサポートしてくれていた安心安全ばかりの旅続きでした。ところが今回はひとり旅。前日の夜なんて「行くのやめようかな」と言い出す始末に、送り出す側の関白さんも定めし心配したようでした。
ところがなんとかなるもので、人の多い京都駅について嵯峨野線にも難なく乗り継げて、若かりしころのアクティブさには遥か遠く及びませんがいきなり元気になりました。年寄りの冷や水だって、その気になればやれるやないの。

まず妙心寺に。iPadに入れている母の写真を出して、最近スムーズに誦せるようになった般若心経を(周りに誰もいなかったのでできたようなものでした)。いろいろ思うことだらけのなかをこうやってお参りに来れ、母に、そして父にも心を預けることができたご縁に感謝しました。
【広隆寺】
【まさか来るなんて!!の京都人の密かな愉しみ】
それからずっと憧れていた広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像を拝見。やっとお目にかかれて嬉しかったです。綺麗なお顔、なんとも言えない佇まい方にしばらくその場を離れられませんでした。母の供養と弥勒菩薩さまに同日に出会えたこの日のことはきっと一生忘れることはないだろうなと思いました。慣れない道を歩いて若さま宅にて小休止。若さま勤務中の留守宅なのでとっとと出ていって、四条河原町や寺町通り、そして京都市役所近くにある「カフェモール」に。ここはあの「京都人の密かな愉しみ」に出てくるバーの外観です。いやぁ、よかったです。ついつい顔がほころんでしまいました。
昔の寺町通りはどこからともなくかすかにお香の香りが漂っていました。ところがお香どころか種々雑多のコロンのニオイが充満。インバウンドのお客さん各々お好きなコロンを塗りたくって歩いているもんだから、まるでここは外国かい??新鮮な空気が吸いたくなる思いでした。逃げるようにして清浄な鳩居堂に立ち寄ってあれこれ買って、木屋町や先斗町を歩いて若さまとの待ち合わせ場所にしていた高島屋に。寒いんだか暑いんだかわからないまま歩き通して疲れてヘトヘト。その時点で雄に都大路を20000歩歩いていました。
【おやかましいインバウンドも少なくて先斗町の結構な宵でした】

【若さまがもてなしてくれた「祇園にしむら」】
若さまがセッティングしてくれたのが「祇園にしむら」さん。祇園ですよ。憧れの祇園www
何もかもが洗練されていて、大将や他のお客さんとご一緒できた会話も愉快でした。近くには翌日開業する帝国ホテルが。到底庶民には浮世離れし過ぎている宿泊料金にどんな方たちが利用なさるのでしょうね。意見が一致しました。そう言えば河原町の大通りに漆黒のロールスロイスが停まっていました。もちろん運転手さんを待たせて用事を済ませられるようなご身分の方だったのでしょうが、やっぱり世の中にはこういった人もいるんだなぁと改めて思った大分人でした。
若さまとの近況やら将来やらの話も愉しくて、「京都の夜がさやかに更けていくんだなぁ」としみじみ思えたおよそ2時間でした。しかし、たった一泊とはいえ、息子の家に泊まるってなんだかとっても面映というか居場所を考えてしまいますね。特に社会人になって、自分の技量で頑張っている暮らしを覗き見るような背徳感も加わって複雑でした。
【八坂神社で20年ぶりの再会。立派に成長して嬉しかったなぁ】
翌日は旧宅に住んでいたころ懇意にしてくれていた、今は千葉住まいになっているアメリカン奥さんの次男くんとデートしました。同志社大学3回生。就活に忙しいのに「気分転換を兼ねて」と付き合ってくれました。八坂神社の朱色の神門前で待ち合わせしました。この子がまたビジュアルもキャラクターも可愛くて。連れ歩くのに鼻高々なくらいイケメン。ママがアメリカン、さすが美形の血を引いてるわやねぇでした。ちょうどまさしくジイサンとお孫の図になりました。
オムツ持参で我が家に遊びに来ていたころからおよそ20年。もろに隔世の感ひしひしでした。
【初めての平等院鳳凰堂】
【お肉ランチは宇治の「丸一商店」。若者大喜びでした】
【こちらも初めての伏見稲荷大社】

宇治の平等院鳳凰堂、伏見稲荷大社、河原町などなどあっちこっちを、恂に効率よく回ってくれました。スマホ片手に迷うことないスイスイにジイサンは安心して後ろをついて歩けました。ランチは宇治にある「丸一商店」で。魚系がまったく受け付けないらしくお肉で正解でした。立派なガイド役にまたまたお肉メインの夕食時にお小遣いをあげたら、いつの間にか用意していた京都のお菓子を差し出されてびっくりしました。まるで当家の若さまみたいに思えて仕方がなかったです。
と、まずは大急ぎで前半のお話。京都の街にも食事にも若さまにも同志社ボーイにもおご馳走さまでした。後半は追々。
ところで京都駅で見つけた干物の食堂。ほとんどインド方面のスタッフたちが「干物」を焼いていた食堂に、なんだか不思議な光景を見た思いがしました。。面白い日本になりました。
【母のバイバイはとっても可愛かったなぁ。永遠のバイバイになってしまいました】
四十九日の法要と納骨を済ませました。早いものです。
父のもとに送り届けた思いが強くあります。お寺さんで不覚にも涙が出てしまいました。お骨が家から居なくなって、永訣なんだなぁと思うと葬儀のときよりも感極まって。
「母さん。じゃぁまたね。そう長く待たせないうちにボクも行くからね」
そんな思いというか願いを、母が元気だったころから「いい頃合いで迎えに来てよね」と話をしていたものでした。「また!!なんていうことをあんたは言うのね」と呆れられていましたが、寂しがりの人だったので少し嬉しそうでもありました。しばしの別れにしたい思いを込めて改めて「きっと会おうね」
祖父母が亡くなったときはまだ両親は社会で元気に活躍中。父のときもまだまだ現役の主婦の母でした。しかし、とうとう最後の砦だったような存在だった母が居なくなった途端に、次はボクの代なんだなぁと元気だったころの母の姿、徐々に命の炎が細くなっていった半年間の日々を思い出しては、自分もいずれはと覚悟をしています。痛いとか苦しいとか言わずに、時間を追ってゆっくりと枯れるように母が亡くなっていく様子を目の当たりにして、命を終えるということの尊厳さや穏やかな時間のなかでの別れ方を教えられました。点滴だけでおよそ半年間頑張った母のように旅立っていくことも、まんざら悪くもないどころか羨ましいことだなぁと思っています。死に様は生き様とも言いますし、きっと人さまから疎まれなかった人生だったからいい最期を迎えることができたと思っています。ボクの余生も大きな病気にも罹らず母を見習うような生き方、終い方をせねばとも思いました。いずれにしても母との冗談まじりの約束を果たせたら本望です。
ま、すんなりとお迎えに来てくれるかどうかはわかりませんが。それこそ平生往生、生き方次第ですね。
納骨の数日前はまとまった雨降りでした。両親が結婚式を挙げた昭和31年10月30日は、空が破れたような大雨だったとよく聞かされていました。「私は雨女なのよね」と。まさか納骨の日まで雨を降らせるなんてと心配しつつ、ボクにとってはやらずの雨でも、あの世で待ち構えている父にとっては、再び結婚式を挙げるようなというか、半世紀以上も大昔の佳き日を思い出すかのような雨降りに思えるのかなぁ。母がそんな思い出を一緒に持って行くつもりであったのかなと思った直前までの雨模様でした。
関白さまは「この雨はお母さんは皆んなと別れがたいんじゃないのかな」と、神妙な面持ちでポツリと。それを言われると封じ込めていた哀しみが心を占めていくようなつらさが広がっていきました。
雨にはじまって雨で閉じる人生みたいにも思えていましたが、よく晴れて見事な大逆転こそが人生というのか、見えない力の綾なんだなぁと思いながら見送りました。稀代の雨女も仏さまになってしまうと晴れ女になったのでしょうか。気配りの母だったので、見送るボクらの難儀のことも考えてくれたのでしょう。
直近までそぼ降っていた雨は待ち侘びて喜びにむせる父の涙。49日間もの長旅の末に再会できる安堵と幸せに浸れる母の涙だったのかもしれないなぁです。
【ちょうど折々よく立派な涅槃図の掛軸がかかっていました】
お寺で四十九日の法要。読経のあと、いよいよ父の待つお墓に。自宅からお寺までのコースは母の思い出の場所の数カ所をまわりました。しめやかに連れて行けたことは、母の性格というか優しかった人ならではだったと思います。納まる場所に納まった。そんな安堵感もあります。
「そろそろ着くころかなぁ。じゃぁまたね。次はあの世で会おうね。生きていたときのような笑顔で迎えてくださいな」
【大好きなお香のひとつです】
【沈丁花の香りが日増しに深くなっています】
ひと月以上、朝昼晩関係なく和室はお線香の香りに包まれています。12時間持続可能の渦巻き状のお線香も使いましたが、香りがイマイチなので渦巻きは夜間専用にして、朝から夕方までは通常のやらお供えにいただいたのやら、たまにちょっとお高い「微笑(みしょう)」を焚いて過ごしています。そんな日課もあと数日のことになりました。不思議なことですが、母の前に座ると妙に気持ちが落ち着きます。この思いは施設に寝泊まりさせてもらっていたときの独特な思いを伴った空間と同じです。まるで母の優しさに包まれているような感覚のなかにいる穏やかです。
家のなかではお線香、庭に出ると咲きはじめたばかりの沈丁花の香りが鼻腔をくすぐってくれています。自己満足ではありますが、家のうちそとから母を供養しているしめやかさを感じています。
三大香木の沈丁花は春の香り。夏はクチナシで秋は金木犀。四季折々に咲き誇る花々や彩りある季節の四季を有する日本って、本当に心が豊かになれる素晴らしい国なんだなと、大小や公私の行事に関係なくその場を通して思います。昨年の夏と秋。母の入所している施設への行き帰りに、それぞれの季節に香っていたクチナシと金木犀の香りの世界を思い出しています。特に容態が不安定になった秋の夕暮れに街を包んでいた金木犀の香りを、きっとこれから幾年かは忘れられない思い出の香りになることと覚悟しています。香りはその時々のシーンや心もようを鮮明に思い出させてくれますね。
頚椎ヘルニアの手術のときに同室だった、今は関東にいる自衛隊の若者が時々にLINEをくれます。国のため、国民を護るために命を投げ打ってもいいと平然と言います。強い決意は素晴らしいことだと思うし、そんな覚悟に感謝もしますが、「まずはあなたの健康第一です!!」としか返信できません。命あっての未来です。命を捨てるような真似はしないでとは敢えて言えませんが、「ご両親の心配を常に思うこと。そして自分の命を守らずして国は護れないからね」と、東京の若だんなと同世代の彼にその都度しつこいくらいに念押しをしています。
一日のなかで時間を見つけては母の中陰壇の前に座って、相変わらず般若心経を誦しています。ある日を境に恂にすらすらと上げられるようになりました。不思議なことだなぁと驚いています。独りよがりかもしれませんが、これはきっと母が父の近くまでたどり着いたという知らせかなぁなんて思っています。小さい頃から祖母の隣でよく耳にしていたので身近に感じてはいましたが、音痴なボクは聞くに堪えられないものだと自覚しています。その般若心経を唱えなが母の面影を追いつつ冥福はもちろんのこと、人懐っこい若い自衛隊員の友人の将来の無事を心から祈っています。
【確定申告も終わって永楽庵で至福の蕎麦だったのに悲劇が目の前に】
【もう決して見失いませぬ!!ぞんざいに扱いませぬ!!】
イケメンお兄さん職員さんの丁寧なサポートで確定申告も終えて、晴れやかな気持ちのまま申告会場から近くのトキハデパートに行きました。今月末に行う四十九日にお寺さんに持って行くお供えのお菓子、山口と大分市内在住の従姉妹の姉妹がお参りに来てくれるので手土産。なんと!!デパ地下の「まい泉」が撤退するとかで「これは食べ納めをせねば」とロースカツを2枚。あとはデパ地下にしか売っていないものをあれやこれやを買って「あっそうだ!!お昼を食べましょう」と思い立って、まず買ったものを駐車場にあるクルマに一旦戻って助手席に載せて、改めて歩いてお蕎麦で有名な永楽庵さんに。確定申告も終わったしで気も抜けて、いつにも増して「あ〜〜美味しかった。おご馳走さまでした」。で、何気に目をやったら左小指にしていたはずの買ったばかりのラピスラズリのピンキーリングが影もカタチも無い!!これは母が亡くなったあとすぐに記念というか、母との別れのことを忘れまいと大急ぎでネットで買ったものでした。
いやぁ。ショックが超絶的に甚しくて。しつこいことなどそっちのけでトキハで用を済ませた各売り場と駐車場。確定申告会場。そして歩いた道を辿って行きましたが見つかるはずもなく、トキハの「おわすれもの取扱所」にも「宜しくお願いします」と、恥を承知でお願いして暗澹たる気持ちで帰宅しました。これで何度目の行方不明騒動かと泣きたい思いと、「ボクってバカじゃなかろうか」の自責がミックスして茫然自失、当てのないリング探しの小一時間でした。年はとりたくない!!そのひと言に尽きる事件をまた増やしてしまいました。確かに確定申告をしているときには指にあったことを鮮やかな残像ともども覚えていました。あれが最後の姿だったの??みたいな気持ちになってますます落ち込みました。
もはやこれまでと観念するしかないな。帰宅後のそれからの数時間は、トキハで買って帰ったロースカツどころかリングロスの真っ黒な世界。もろもろを投げやり気分でそのまんまキッチンに置きっぱなし。ここのところ失くしたと思っていたものが西の神さまに「どうか見つかりますように。出てきますように」と、お願いするたびに手元に戻ってきてくれています。もちろん今回も西の神さまにお願いしましたが、でも今回ばかりは移動場所が広範囲すぎて悲しいかな諦めるしかないと。今ごろは歩行者が間違って蹴っ飛ばしているのかなぁとか、クルマのタイヤに押しつぶされて跡形もなくなったのかぁ。お母さんとの最後の思い出を自分の不注意で霧散させてしまってと思いはいろいろでした。
ところが悶々の数時間後、珍しくキッチンに立っていた関白さんが、
「兄さん。帰ってからピンキーリングはしっかり所定の場所に置いてる??」
最近は年寄り扱いが甚だしいこと極まりないので、
「うん。そこらに置いてるわ」
「へぇそうですか。だったらどうしてまい泉の袋にあるんでしょうね。ほら!!」
と、目の前に突きつけられた空っぽのまい泉のビニール袋の底に、あれだけ四苦八苦して探し回って、諦める気持ちもまだ捨てきれなかったラピスラズリがしっかりコロンと!!「あらまぁどうして!!なんでやの」としか言えない自分がいよいよ哀しかったです。
「買い物袋を危うく捨てるところだったよ。なんか硬いものが手に触るなと思ったらコレ。兄さん、いくらお母さんが亡くなって心ここに在らずでもしっかりしてくださいよ」と。
返す言葉もありませんで、ひたすら「ありがとう。ありがとう」の連呼。またまた助けてくれた西の神さまに心からお礼言上を奉りました。アンビリーバブル、奇跡、ご神威であります。そして事あるごとにお母さんが守ってくれているんだなぁと改めて思っています。
訳の分からないような大騒動が落ち着いたあと、若さま作のからすみをお供にした晩酌の美味しさは心身共に染み入る心地がしました。
しかし、確かにここのところのボクは変です。これで何度目の「無い無い。どこいった」の大騒ぎと、見つかって摩訶不思議世界に陥っていく気持ちの浮き沈みの連続にヘトヘトでもあります。失くしもの騒動の災難去ってまた災難災難災難の連続。出てきたら今度は違うものを新たに神かくしされる日々ですもん。
ピンキーリングは、わずかひと月で指が細ってしまってゆるゆるになったことも大きな原因だと思います。確かに気をつけないと、今回にのようにいつのまにか指からポロリと落ちてしまいそうな悲劇的リスクが生じるのかもしれません。かと言って小指がダメなら薬指でと試してみましたが、薬指の太さではリングの往復が青息吐息でほぼ無理です。最終的にはピンキーリングなんて、自分には似合わないということなのかなぁと思うのも寂しいことだし悔しくもありです。ひとまずは最近励行しているように、今回もしっかりメモして「安置」しています。
【確定申告が終わって若さま作のからすみと飛良泉で自分ご褒美】
【メインは明太子クリームパスタとスパークリングワイン】
オフクロさまを見送ってからブログ投稿への熱量が減っていた小一ヶ月でした。「これを機会にやめようかな」とふと思ったりもしました。ここ数年はオフクロさまの話題から故意に遠ざかっていましたが、家族がひとり欠けただけで、なんだかやる気が無くなっているのが現実でありボクの心情でもあります。しかし、やっぱり自分自身が心底からやる気をなくしたときが潮時かもと思い直して、ぼちぼちと続けようかなと思い直しています。ここ数日、オフクロさまが元気であったころの記事を探しては読んでいます。オフクロさまと過ごしたあのときどきの光景が鮮明に甦っています。会話も景色も母親の温もりまでも。そんな日々のなかで「だんだんと寂しくなるよ」と、友人たちから言われていますが確かにじわじわと。今ごろになってつらいなぁです。特に騙しで施設に入所する日のオフクロさまの姿を思い出すと、5年間も親不孝をしてしまったと悔いる思いがよぎっています。
そんなあれこれをたぐるとブログって日記がわりなんだなぁと改めて有り難がっています。オフクロさまとのあれやこれやのこと、そして次はボクのこれまでとこれからが残されていき、息子たちや関白さんがいつの日にか読み返してくれたら本望かなと思っています。
父が逝って18年と半年ぶりにオフクロさまはその父のもとに・・・。早いもので月命日も済んで今月末には四十九日の法要と納骨です。そんなオフクロさまは今ごろはどの辺りを歩いているんだろうかと、杖に頼って歩いていた生前の姿を思い出しています。しかし、どうやら亡くなったら身体の不調や不自由さが皆無になって、とっても身軽にも心軽やかにもなるとかネットで。だったら杖いらずでスタスタ歩いているのかもしれないなぁと思うと微笑ましくもありです。
父の遺影は亡くなる前の年相応のときに撮ったもの。だからオフクロさまの遺影も父と大方同じ年齢、80歳のときに長男の結婚式出席で東京で撮ったものにしました。「女優さんってこういうメークをしているんだ!!」と驚愕したくらいに女優然とした大化けの写真ですが、父との年齢に釣り合わせてあげなきゃ。90歳過ぎの最近のお婆さんの写真ではオフクロさまも、父に会わせる顔がないかもと勝手に思い込む見栄え重視の息子でした。よくはにかんでいたので父に会えたときにどんな顔をするのかなぁと思っています。そんなことを考えながら四十九日まで残りの日々の朝昼晩の供養を勤めています。便利なことにYouTubeで般若心経を流すこともできて、うろ覚えながら唱和もできています。お骨があるのでまだまだオフクロさまが身近にいるような錯覚を覚えていますが、いよいよ家を離れてしまうのかと思うと、友人たちから言われているように本当の寂しさが襲ってくるんだろうなと思っています。寡婦になって長い時を経て、父のもとに見送りをする思いです。
昨夏以来、目につく数字に「42」が異常に多かったです。時計を見ると11:42、14:42、17:42・・・とどこかに42が紛れ込んでいました。炊飯器の予約の残時間もいつ見ても偶然に42分。クルマの走行メーターまでも422kmとかそんな凶々しいのばっかりでした。買い物したときにはレシートにも。最もひどいのなんて4242とか。親父が亡くなる一年ほど前からも数字と言えば「42」が頻繁に目の前に現れていました。それと線香の香り。近くで焚いていないのにどこからか匂ってきていました。このお香現象は両親はもとより、誰かが亡くなる前に昔からたまに体験しています。さらに今回のオフクロさまが亡くなる日の夕方には、一旦家に帰っていた関白さんから、「異常な数のカラスが家の近所を飛んでいる!!」と。縁起でもないと思いながら、来るべきときが来てしまうのかと思ったものでした。あれこれこじつけるとキリがありませんが、ボクのようなこんな人間にも、どこかしら「勘」や「予知」が働く機能があるのかもしれませんね。吉兆、良いことならば嬉しいんだけれど。
昨日は確定申告も無事に終了。なんだか毎年毎年ややこしくなって、これは年寄りには難しすぎる年中行事かもしれませんが、今回はまだまだ20代のイケメンお兄さんが懇切丁寧に担当してくれて、あんなややこしい作業のなかでひとまず眼福でありました。「若いっていいなぁ」なんて見惚れておったジイサンでした。
【偶然見つけました】
和泉屋の「長崎しょこらあと」でちょっとブレイク。
「ねぇ。和泉屋ってなんか覚えてない??」
「そう言えば雲仙島原ドライブの途中にカステラの店がどっかにあったなぁ」
「雲仙の愛野にあったトイレが無茶苦茶キレイだった長崎カステラランド!!」
数年前の出会いですが、行ったことのある店の品物に自宅で改めて出会えるなんて。チョコレートをまとったカステラ、美味しかったです。
マックスだったころの体重から今は12kgほど落ちました。マックスが89kgだったので喜びのスリム体型になったかと思いきや、あんまり変わらんなぁです。脚が細くなってまるで黄金虫みたい。体重があったあの頃は筋肉もあったしで、硬い筋肉でもってさまざまな部位が持ち上がっていたのでしょう。今は筋肉も落ちて昔は自慢だったプリケツも胸囲もあったもんじゃありませんですの無惨なカタチに。
「お父さん。お尻の肉が落ちたねぇ」やら「なんかカラダ全体が下に下がったね」とか言われはじめています。そんなことを言われたら気分転換の温泉にも行けなくなります。ちょっと前までは他人事であった温泉で見かけていたご老人の入浴姿と同じかもと思うとゾッとしています。何より若い若い兄ちゃんたちのお湯を弾くようなハリのある締まった美しい体つきと、フッサフサな髪の量を見ると浴槽の隅で「あ〜〜〜いやだ。いやだ」です。入湯料金も高いですが、もう家族風呂にて身を隠すように温泉に浸かるしかないですね。
オフクロさまの忌明けは3月4日。これまた偶然の小夜の日(!!)です。これから仕事が忙しくなるので、先日デパートに行って忌明けのカタログギフトの手配を早々に済ませました。日を追うごとに「あ〜もういないんだ」と寂しさが募ってきています。写真に向かって話しかける回数が増えていっています。
ところで家族葬なんて葬儀社の罠みたいなもので結局葬儀代金は事前相談会で提示された金額の倍に。お通夜や葬儀であたふたやらボーっとしていた隙を突かれた感じです。「こんなにもかかったの!?」と思いつつ、でも家族葬だったので参列者は当然のように少ない。不敬ながら収支のアンバランスのそこで、もろもろに対してため息が出てきているのが事実です。とは言え、家族以外の幾人かの方たちが参列してくださって、「お花が多くて立派な祭壇ですね」と言ってくださり、やることをしっかりやってオフクロさまの顔に泥を塗るような真似はできんかったしなぁです。
でもそんな鬱鬱のなかで人さまの情の厚さに改めて感激と感謝をしています。
「母が亡くなりまして」と立ち話をした数日後には書留でお香典が届いて。自分の軽率さを悔いています。葬儀後に伝手伝手で知ったと仰り、過分なお香典やお供えをくださった方たちの多さに、オフクロさまも喜んでくれているだろうなと思っています。
早いものでもう間もなく16日で1ヶ月になります。亡くなってからの人の見送りの時間は速いとよく聞きますがまさしくその通りだなと。でもお葬式で飾った大量の生花がいまだにオフクロさまの中陰壇の周りを華々しく取り囲んでいます。冬だから生花の保ちもいいのでしょう。ひと月が経とうとしているのに真夏の真っ盛りだった父親のときと大違いです。「お父さんは暑いときに亡くなったけれど私は冬がいいなぁ」と、ずっと言っていたオフクロさまの思いの現れだと信じています。父の誕生日に亡くなりもして自分が望んだ季節への思いも叶ったようです。弱りつつある供花を徐々に間引いています。そこで面目躍如しているのが、ずっとお飾りだった李朝の白磁の大壺。盛り盛りの花生けに大いに役立っています。
【如何にも町中華の店構えが嬉しいのよね】


カタログギフトの注文作業も終わり、オフクロさまのことでお世話になった病院や施設に心ばかりのお礼の品物も買って、「やれやれこれでひとつ片付いたね」ということで関白さんと町中華の「留園」に。店の外で並んでいたら先客のおじさんグループが、「いやぁ美味しかったなぁ。いい店を知ってるねぇ」と口々に言いながら出てきました。もちろん!!この留園さんは美味しい!!ずーっと前から知っておりましたわい。今回はふたりともチャーハンと餃子。やっぱり不変の美味さでした。おご馳走さまでした。ステキなママさんと話せたこともご馳走さまでした。
せっかく体重が減っているのでここらで暴飲暴食を慎み、ほどのよい食事内容にすればもっとステキな結果が待っているかも。
【久しぶりに静かな雪降り】
今度の土日は今冬一番の冷え込みに注意をと、気象予報士のお姉さんが数日前から言っていたとおりの雪の日曜日の朝になりました。短時間に真っ白になって、雪を喜ぶ子どもみたいにとっても心が躍ったほんのわずかな冬らしい時間でした。我が家の庭も久しぶりの雪景色になりました。
選挙投票日当日。雪がとけて足元が悪いなか、投票所に向かう人たち難儀だろうなと思いながら過ごしています。我々は金曜日に期日前投票に行っていてよかったです。投票会場にたどり着くまで前代未聞のような長い列。およそ30分ほど並びましたが、「国民の義務を果たしに何がなんでも投票に行くぞ!!」の勢いのまま済ませたご褒美のような今日の雪降り。こんな天気で出足も鈍っているかもなぁと、これまで心配したことのない投票率にまで気にかかるなんて、高市さん効果はもちろんながら日本をよくしてもらいたい。役にも立たない人間を議員などさせたくないの一途な思いが高まった証拠かもしれないです。きっと有権者の皆さん、こんな日に限ってのような悪天候も選挙の行く末も、それぞれが同じ思いではなかったかなぁと思っています。
それにしても日本のオールドメディアってよっぽど偏っているなと改めて感じて、そして平気でやっている印象操作の怖さに、メディアの何を信じたらいいのか、ますますかわからなくなったのが今回の選挙戦でした。ありのままを伝える公平性を持たなきゃならないのがメディアのはず。それが矜持のはずなのに。好きか嫌いか、損得勘定も加わって、高市さんを平然とこき下ろすなど見苦しいことこの上ない今回でした。日本の為にならないこんなザマでは、オールドメディアなんてやっぱり早晩衰退していくだろうなと改めて思いました。
投票日だった今日の雪降りは世の中の清濁すべてを白く覆い、新たな日本の再生の兆しだと捉えたいですね。
知り合いの茶人が弔問に来てくれました。くらや菓子司さんの主菓子でおもてなしができました。写真は我々のつまみ食い用に取り置いていたものです。
あっという間に立春も過ぎました。
今週はオフクロさまが亡くなって三七日の法要でした。不思議なことに哀しみよりも、そこに居てくれていたオフクロさまが居なくなったことへの寂しさのほうがまさっています。ただ、亡くなった時刻になると、それまで味わったことのない虚無感にさいなまれている3週間です。なんなんでしょう。あの時刻になると何にもしたくないやる気の無さ。そんななかで1週間ごとの法要のしつらえ直しやお寺さん応対の準備。ところ狭しとあるたくさんの盛り花の水やり。新しいお位牌や墓碑銘の依頼。そして亡くなったあとのさまざまな手続きの多さのなかにいます。その合間を縫って弔問に来てくれる人たちへの接遇。毎年いま時分からはじまるこれから1年間の仕事の打合せや、予約も済ませている確定申告の準備などなど。だからでしょうか。それ以外のことにまで気持ちもパワーも傾けることができない日々が続いています。「しっかりせねば!!」と思いつつも、ある意味きっと心ここに在らずみたいな所在のない自分だろうなと思っています。
ただ、とても救われることと言えば関白さまの存在の大きさ。マメに動いてくれながらも気付けば常にお線香を焚いてくれています。そして40年以上にもなろうかという、長いお付き合いのご夫婦のお参りのお越しには何故だか気持ちが落ち着きました。奥さんは77歳、ご主人がオフクロさまと同い年で今年93歳になりますがかくしゃくそのものの方です。そのおふたりが母にと般若心経をあげてくれたことに、なんだか救われたような穏やかな気持ちになりました。そしてご霊前にと持って来てくれたのが庭に咲いている水仙と小夜侘助という椿。小夜、オフクロさまの小夜子と同じ名前です。篤い心遣いが優しい偶然の合致を導いたのでしょうか。
ところでオフクロさまが亡くなる前、そして亡くなってからもいくら探しても見つからなかった失せ物数点が次々に出てきていることに驚いています。
忽然と消えて神かくしだと大騒ぎした、ラピスラズリのペンダントや仕事に使うクライアントの写真データ。それから貸金庫に入れていたつもりで確認に行っても無かった超貴重品が、あろうことかリビングのローボードの引き出しの奥深くにあって、まるでテレポーションに「なんでここに有るんや?!」と不思議がっているここ数週間です。なんとなく「ここ開けてみようかなぁ」と開けたら有った!!自分を責めながら何度も見直していた引き出しなのに。
いつの間にか自分で動かしたという記憶などさらさらありません。しかし不思議です。探し回ってヘトヘトになって、もはやこれまでかと諦めかけていたのに忽然と出てきてくれるなんて。まるで冷笑しているかのような出現の仕方です。これはまだ彼岸に辿り着けていないオフクロさまの魂魄が助けてくれているんだろうなと思っています。「まさか」ってことが度重なっている不思議な日々にいます。
この際だから特に大切なもの、そうでないものなどと区別せずに、あらゆるものに対してどこにしまったかをメモしておこうと思って即実行しています。
本音を言えば、オフクロさま、母に会いたいです。そして元気だった頃のように丁々発止の会話を愉しみたいです。介護していた日々も懐かしいことばかりです。
父が亡くなってひとりで10年近くも暮らさせてさぞかし寂しかっただろうなと、母を失ってはじめて気づいても・・・、遅いですね。「もう帰るの??もう少し居ればいいのに」と、引き留めていたのを振り切って辞去していたあの頃。察することもできずに気持ちを無碍にしてと、後悔のいろいろの場面がよぎっているここのところです。悪いことをしたものだと後悔しています。「ごめんな。母さん」。
亡くしてはじめて気づく親の有り難みと愛情の深さ、つらさや寂しさを隠していた気丈さ。今になって改めて思うとは。親不孝をしたな、申し訳ないことをしてしまったなと気づいたときはタイムオーバーでした。
見つからなかったものが出てきているなんて、亡くなってもまだボクを助けてくれているのかなと思うと、やっぱり小夜子さんに会いたいです。母としても人間としても大好きだったんだなぁと、微笑む遺影に語りかけても遅いのに。
16日18時40分、父の誕生日に「お父さん97歳になったね。おめでとう。さてそろそろ会いに行きましょうか」、そんな心づもりだったのでしょうか。その日を待っていたかのように自分の誕生日を1週間前に終えた享年94歳を一期に穏やかに旅立っていきました。
施設に入所して5年。昨年7月に3回ほど高熱が出て、以来、口からも胃瘻からも食物を摂ることもできず1月9日まで点滴だけで頑張りました。年明けから徐々に血圧も血中酸素の数値も取れなくなり、点滴をやめた9日の時点で「あと数日かもしれません」とドクターから告げられて、半年の間に刻々と変わりつつ母の生死の境を見届けながら、さらに今後起こりうる未体験のことすべてに、覚悟をせねば後悔のないようにせねばと思って過ごした1週間。秋以来、施設のご厚意で同じ部屋に寝泊まりさせていただいていました。
16日夕刻に母の息が絶えるその瞬間を、刹那を看取ることができました。
「母さん、ちょっと待ってよ」。あっという間、眠るように静かに息を引き取りました。大きな声で声かけをしても、体を揺すってもびくともしない母の姿。魂が抜けてモノへと変わるような言いようのない恐怖を味わいました。
何を思ったか、その1時間前に母の耳元で「母さんありがとう。親不孝ばかりしてごめんね。母さんのこと大好きだったよ」と、言えたことがもしかしたらこれまでできなかった代わりの、全身全霊をかけた親孝行であったのかもと思っています。ろーまのお世話で一旦家に帰っていた関白さんも大急ぎで駆けつけて、嗚咽を漏らし身体をさすりながら母を労ってくれました。若さまは京都から急ぎ深夜バス。東京の若だんなも翌日早くに飛行機で大分入りをしてくれました。
自分の母親のことを言うのもおこがましいことですが、お茶目で穏やかで優しくておおらかで、そして決断力が早くて、知り合いの弁護士が「恐れ入りました」と言うほど的確さ。さらに豪胆な人でした。人柄のその証だったのでしょうか大寒にもかかわらず春を思わせるような優しい天気のなかでの見送りになりました。
竹製の簡易の杖をお供に、大好きだった文藝春秋最新号と握り寿司をお土産に父の元へと旅立たせました。此処、この世に居て当たり前だった母親。どんなに老いていても、姿かたちが変わろうとも、そばにいてボクと同じ空気を吸う厳然とした事実。生きてくれていたからこそ、自分も何事にも安心して日々を送らせてもらっていたんだなぁと気付かされているここ数日です。今ごろはどの辺りにいるんだろう。母は偉大。今、いなくなってその言葉の深さや大きさを感じています。
若さまが夏以来、急ぎ3度も駆けつけてくれたこと。9月以降、ボクが外泊と称して家を空けていたのも母の部屋泊まり。そう言う数ヶ月でした。
母の存命中さまざまにお見守り、応援していただきありがとうございました。
正月明け成人の日の前後だった先日。若さまが急きょ帰省の運びとなりました。遅めの正月帰省と我が家の他用のためでした。若者はとにかくフットワークが軽快。こっちは動きたくても身軽に動けない身体になって何事に依らず警戒www
【これでじゅうぶんでございますの関西と言えばの定番お土産。赤福】
【ジャカルタ土産のジャコウネココーヒーのコピ・ルアク】
【小倉名物の小倉のかしわ飯】

【そして皇居財布。まさか我が手にとは夢ゆめ思いもしませんでした】
関西土産と言えば伊勢の名物「赤福」。いつ食べても美味しい、とっても嬉しい定番土産です。なんて言うのかひと口食べて心の奥からホッとするみたいな。日本人の心のふるさととも言われている伊勢神宮。そこの名物なので自ずと心が落ち着くのも理解できます。
ジャカルタ土産のジャコウネココーヒー「コピ・ルアク」。ジャコウネコの糞に残ったコーヒー豆は格別の味であるということは知ってはいましたが、高嶺の花というかさらさら縁がないだろうと思っていたまさかの珍品です。ここのところ落ち着いてコーヒーを飲む時間がないのが残念です。身も心もおさまる場所におさまったらゆっくりまったりといただきます。
そして乗り継ぎの小倉駅で買ったと、これも小倉名物の「小倉のかしわ飯」。名物だらけのお土産に出不精になってしまったボクは目が爛々、心はウキウキでした。
最近ネットのニュースで見かけたばかりだった、なんともキュートでそこはかとなく格調高い「皇居財布」。敬宮さま効果でしょうか。爆発的な人気だとかで東御苑の売店にある財布を求めに皆さん朝早くから列を成しているとか。
「ほう。こんな財布を売っているんだ」と他人事のように思っていました。まぁ、購入意欲絶大なボクの気持ちを汲んでくれる若さまはもう東京じゃないし、ご縁のない品物よねと思いながら何気に見ていました。
しかし、これまで皆さんさほど興味もなかったでしょうに、何がきっかけでこんなことになるんでしょう。人間の心理ってわからんですね。やっぱり敬宮愛子さまの存在そのものが、このような思いもかけない効果を生むのでしょうか。ワクワクすることに一気に火がついて、それぞれ皆さんが興味を示すって素晴らしいことですね。何より、皇居で販売。さらに菊のご紋があしらわれているなんて、ご利益を頂戴どころか家宝をいただくみたいなものです。
遠いところのお話だよなと、まぁそんなことをつらつら考えて過ごしていました。
ところが赤福たちと一緒に「はい。これとこれもお父さん喜ぶと思って」と、差し出されたのが恐れ多くも畏くも、手の届くはずのなかったあの「皇居財布」。
「どんなルートで買ったの??まさか親にも言えない闇とかじゃないでしょうね」
「うん。東京の友だちがね」
日ごろからノータッチの交友関係。恐ろしくて改めて多くは聞くまい。しかしながらネットで見かけたアレが現に此処にとは。まさかのことに唸りっぱなしでした。男30もなるといろいろなマジックの習得というか、多彩なコミュニケーションが縦横にできあがっていくようです。
もうひとつのまさかねは、
「秋にラピスラズリのペンダントを神かくしされたんだって??」
と含み笑いを滲ませなが言われつつ、きれいにラッピングされた小箱を開けると、ターコイズの馬蹄のペンダント。
「今年は午年だからね。それから神かくしって言うよりお父さんの不注意だったんじゃないの??」
京都人になっていけずにならはったんやろか。しかし、サプライズをいつものようにやってくれましたなぁ。粋すぎる計らいにびっくり。結構すぎる逆お年玉をもらいました。いつもながら「ごきんとはん」なことです。
そして大分の用事が終わったらすぐに帰洛していきました。
なんとも慌ただしい。若かった昔であればボクだって時間との戦いも好きでしたが、最近は時間に追い立てられ、翻弄され、そして戸惑うことばかりになりました。じっとしておくのが一番だと気づきはじめた最近です。なんか悟ってるなぁ。
【見た目は虫の卵か魚の卵か畑のキャビアとも言われているトンブリ】
今日のお昼は自宅で精米したてのお米でご飯を炊いて、炊き立てご飯の上に秋田から送られてきた「トンブリ」と、新鮮生卵とで「トンブリどんぶり」をつくりました。いえいえ、つくったなんておこがましい。乗せただけで食べました・・・ですね。「とんぶりどんぶり」、声に出したらドラえもんの「翻訳こんにゃく」みたいやなと、若者が居なくなった部屋でおっさんふたりがシャレにもならんことを言いつつ白け顔しながら黙々と。
トンブリのプチプチ食感と、トンブリと相反する食感の生卵の絶妙というか珍なコラボ。面白く美味しくいただきました。トンブリもたまごもおご馳走さまでした。



